雪はすでに消え・菜の花と梅が対称的な色合いに(その191)
2月10日、その日窓の外を見ると、白銀の世界が広がっていた。...
全部読む
2月10日、その日窓の外を見ると、白銀の世界が広がっていた。
気温も低く、JR市川駅に着いたのは9時半頃と、出発がいつもより遅くなった。
総武快速線で、新橋駅まで行き、そこから浜離宮まで地下街を歩いた。
電通ビルから日通本社を通り過ぎ、国道を突っ切ると、「中の御門」に辿り着いた。
駅から10分は歩いた感じであった。
浜離宮には、数度来たことがあるが、その門から入るのは初めてであった。
内堀から、菜の花畑が見えたので、先ずはそこをめがけて歩いた。
空気は想像していたほど冷たくなく、雪の欠片も見つからなかった。
黄色く染まった菜の花畑の周りには、赤と白の梅の木があり、蕾に混じって、花も咲いていた。
よく見ると花札が掛けられていて「八重寒紅(やえかんこう)」と書いてあった。
他の木には「満月枝垂」との掛札もかかっていた。
まだ満開とはいかなかったが、時折目に入る白と赤の花の姿は、なかなか美しいものであった。
菜の花畑を背景に、梅の木を撮る為、三脚を立てて、4Kビデオでじっくりと撮影した。
三脚を立てると、動きが制約されるので、今度は三脚からカメラを外して、手に持ち歩きながら菜の花畑を撮影した。
周りでは、カメラやスマホで撮影している人々が多かった。その中には外国人もかなりいた。
ひとしきり撮影をすると、正面の門から出て、工事中の道路を渡って、地下街に入った。
すると都営地下鉄の大江戸線「汐留」駅が目に入ってきた。
その駅のホームへと降りると、直ぐに両国経由都庁行きの電車がやってきたので、飛び乗った。
7つ目の両国駅で下車し、JRの方に向かった。
一度JRのホームを経て、国技館方面に出た。
そこではいろいろなイベントが行われ、結構な人出があった。
国技館の入り口方向に歩くと、「相撲トーナメント」が行われている様子で、切符売り場に行ってみると、まだ切符は買えるようであった。
相撲とりが歩き、観戦客が行きかい、警備員が整理をするなど、大賑わいの周辺であった。
ひとしきり国技館周辺の賑わいを楽しむと、JR両国駅に向かい、その日の帰路へと着いた。
市川駅に帰ってきたのは、12時15分頃で、3時間弱の行程であったが、東京の一端を見たような気がした。
閉じる
温かな陽気に誘われて新宿御苑に「梅の花」を探しに行った(その190)
2月3日、その日朝9時ごろ、JR市川駅から総武緩行線に乗って千駄ヶ谷の新宿御苑に向かった。...
全部読む
2月3日、その日朝9時ごろ、JR市川駅から総武緩行線に乗って千駄ヶ谷の新宿御苑に向かった。
天気予報通り、空は晴れて初春のような温かさだった。
40分ほどで、千駄ヶ谷門から新宿御苑の中に入り、旧御涼亭に向かい、そこから拡がる池を眺めた。
少し歩くと、池に氷が張っている光景が目に入ってきた。平年より気温が高いと言っても「まだ、冬なんだ」と感じた。
この季節の花は、なんといっても「梅の花」である。
少し歩くと、その花は咲いていた。まだ一角で、やっと見つけたという状態であった。
三脚を立てて、4Kビデオカメラで、その花をじっと撮影した。
紅い梅の花、即ち紅梅であったが、その花びらをミツバチが盛んに蜜を吸おうとチャレンジしていた。
少し、歩くと「白梅」を見つけた。
この公園では「白梅」よりも「紅梅」の方が、目についた。
更に少し歩くと、水仙の花が咲いていた。結構な広さを占有していた。
人だかりがしているところには、大抵なにがしかの「花」が咲いていた。
特に、梅や寒桜の咲いているところには、多くの人が寄ってきて、盛んにスマホやカメラでその美しさを撮っていた。
そういった人々の中には、結構外国人が多く混ざっていた。
しかも、複数人でグループ化していた。
広い新宿御苑でも、この時期花が咲いている場所はそう多くはなさそうであった。
気が付いてみると「温室」の辺りにまで、来てしまっていた。
この園の特徴の一つは、巨木である。
樹齢数百年と思われる大木も目につく。
休憩所の呼び込みが上手く、そこで、つい「甘酒」を頼んでしまった。
例年よりも暖かいと言っても、まだまだ冬の中、暖かいそれは、体に心地よい飲み物であった。
親切なその呼び込みから、見どころなどを聞き、暫らく散策を続け、千駄ヶ谷門に向かって帰路に就いた。
ガラッとした電車の中で、撮影したビデオ映像を再生し、発色の良い「赤い花びら」に感動しながら、市川駅へと向かった。
閉じる
今年も凍えながら「白鳥の郷」へ(その189)
1月27日その日の朝、8時半ごろのJR総武緩行線に乗って、西船橋へ行った。...
全部読む
1月27日その日の朝、8時半ごろのJR総武緩行線に乗って、西船橋へ行った。
そこから、武蔵野線に乗り換え、東松戸まで行き、今度は北総線に乗り換え、印旛日本医大駅で降車した。
驚いたのは、その間、乗り継ぎがうまくゆき、たった30分の所要時間であった。
昨年の経験もあり、千葉ニュータウン駅で、予めタクシーを呼んでおいたので、印旛日本医大駅に着くと、直ぐに「白鳥の郷」に行くことができた。
もっとも近い鉄道の駅は、JR成田線の小林という駅であるが、電車の本数などの関係から、このルートを選んだ。
田圃の中を、車は曲がりくねりながら走り、しばらくして30台ほどの車が連なっている場所に到着した。
そこで降りて、細い道を歩くと、「クック」という白鳥の鳴き声が聞こえてきた。
白いテントが張ってあり、その辺りに人影が作られていた。
白鳥は、朝方飛び立ち、午後3時ごろに帰ってくると、ツイッターなどに書かれていたので、9時を過ぎたその頃は、どんな様子になっているか、内心心配だったが、昨年通り沢山の白鳥が群れを成していた。
何のへんてつもない、水が張ってあるだけの田圃に、なぜこれだけの数の「白鳥」が群れているのか、疑問であったが、漏れ聞こえてくる話では、「白鳥の餌付け」と「底の浅い貯水」がどうも秘訣であるようだった。
それにしても、その日は真っ青に晴れた青空へ、白鳥がなかなか飛び立とうとしなかった。
折角の青空に白い羽を羽ばたかせてくれなくては、絵にはならない。
率直に言って、湖で餌をついばんでる白鳥よりも、そこから飛び立ち、青空を舞う姿の方が、優雅な感じがする。
それでも、何羽かは、首を突き出して、空に飛んで行った。
また、空から滑空して、湖に着水するものもいた。
それにしても、今年は一緒に餌をついばんでいる、鴨の数が激変していた。
数えるほどしか見当たらなかった。
これも漏れ聞こえてくる、地元の人たちの声であったが、「鴨に餌をとられてしまうので、餌を巻く時間を少し遅らせた」のだそうだ。
なるほど、いろいろと工夫して、経済的効率を図っているのだなと内心思った。
この白鳥の湖は不思議な感じを呼び起こさせる。
たまに空を見上げても、まず白鳥が飛んでる姿を見たことがない。
なのに、この郷では、こんなにも多くの白鳥が集まっている。
たった2つのこと、即ち、「餌付け」と「浅い湖」だけでこんな奇跡が起こるのだろうか。大体この地が冬の白鳥のたまり場としてどうして選ばれたのか、そんなことを考えながら、その日の帰路に就いていた。
市川駅に着いたのは、11時頃であった。北風の冷たい冬の午前中であった。
閉じる
「隅田川シーズンズ」内の検索