旧江戸川から新川、中川、荒川そして葛西臨海公園へ(その56)
7月17日、その日の空は曇っていた。表に出ると多少雨粒が顔にあたった。
携帯用のレインコートをバックパッカーに入れ、雨に濡れる覚悟をして、9時20分ごろ自宅を出た。
江戸川に出て、市川橋を渡り、江戸川区側の土手を南下し、旧江戸川沿いに「新川」を目指した。...
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7月17日、その日の空は曇っていた。表に出ると多少雨粒が顔にあたった。
携帯用のレインコートをバックパッカーに入れ、雨に濡れる覚悟をして、9時20分ごろ自宅を出た。
江戸川に出て、市川橋を渡り、江戸川区側の土手を南下し、旧江戸川沿いに「新川」を目指した。
新中川との合流点を過ぎて、次の水門が新川と江戸川の合流地点だった。
今までは、単に通過点であったが、その新川がいわば目的地であった。両岸には、まだ若い桜の木がびっしりと植えられていた。
その川沿いを走ると、日本調の瀟洒な木造の橋が随所に見られた。両岸とも綺麗に整備され、江戸時代に行徳から江戸城まで塩を運んでいた水運の面影を感じさせた。
川には、カヌーが浮かび、船頭さんが櫓をこぎながら小舟が行きかう情景が広がっていた。船頭に乗った大人が突如バイオリンを弾き出した。その瞬間大正ムードに溢れた感じがした。
集会場のようなところがあり、子供たちが太鼓やお囃子を叩いて楽しそうに遊んでいた。
両岸の散歩道を歩いている人々の動きが、川の佇まいに同期し、ゆったりと、またしっとりとしていた。
しばらく行くと、中川にぶち当たった。コンクリートの土手は上方に見えたが、そこへ登っていく手立てがなく、しばらく側道を走った。
歩道用の小さなトンネルを抜けると、その川と荒川の合流地点なのか幅の広い川に出た。
まっすぐ南下すると、中央がくり抜けた巨大な橋梁が見えた。東京湾岸線の荒川河口橋だった。
その橋の下を通ると、観覧車が見えてきて、そこが葛西臨海公園と分かった。
臨海公園の中を突き抜けると、旧江戸川に出た。
その日は、そこから北上し、そのまま家路と走った。自宅前で時計を見ると、11時半ごろだった。
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水元公園、大場川、そして中川へ(その55)
7月10日、その日も晴れだった。雲一つないとは言い難かったが、風もなく朝から気温が高い夏の日という趣だった。
私は、7時半ごろ自宅を出て、市川橋を渡り、都側の土手を北上し、水元公園を目指して走った。
柴又の寅さん公園辺りまでは、走る人、クロスバイカー、歩く人、野球をやる人々といった具合で、江戸川の土手や河原は、多くの人が出て賑わっていた。...
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7月10日、その日も晴れだった。雲一つないとは言い難かったが、風もなく朝から気温が高い夏の日という趣だった。
私は、7時半ごろ自宅を出て、市川橋を渡り、都側の土手を北上し、水元公園を目指して走った。
柴又の寅さん公園辺りまでは、走る人、クロスバイカー、歩く人、野球をやる人々といった具合で、江戸川の土手や河原は、多くの人が出て賑わっていた。
一週間前の荒川でも、そうだったように、江戸川も土手や河原には、本当に多くの人が、様々なスポーツや健康志向の遊びに興じて、実に巨大なプレイグランドと化していた。
まさに日本人は、健康志向が好きなようだ。
その日は、いつものように水元公園に入る道を通り越して、少し先の瀟洒な橋を渡って、その公園に入ろうと企てた。
橋を渡り、公園らしき中を通り、まもなくすると一般道に出てしまった。
それでも少し走ると、いつの間にか「水元公園」に入っていた。
公園に入ると、蓮の花が季節なのか、ところどころに豪華に咲いていた。
カメラを三脚に据えて、しっかり撮影している人々もいた。8時少し過ぎた、その辺りは公園内の一部にはまだ施錠され入れないところがあった。
「オニバス」と呼ばれる、希少な蓮の一種も施錠された区域にあった。
その日は、野鳥の鳴き声を聞きながら、どんどん奥に入っていった。細長いその公園の反対側にある、「西側エントランス」から出て、一般道を2分ぐらい走ると、大場川の側道に出た。その川には、予想に反して、クルーザーのハーバーが、2、3か所に分散されて見えた。
少し、走ると、水門が見えてきた。その先は「中川」であった。
「水元公園」は、江戸川と中川を繋いだ、いわば大場川の一部が、堰き止められて出来たのだろうと、その辺りの地勢から勝手に推測した。
江戸川から、中川までこんなに近いのかと驚きもした。サイクリングをすると自分の頭の中に具体的な地図が描け、自然と疑問が氷解してゆくことに楽しみを感じる。
中川では、水上ジェットの集団が、思い切りスピードを出して、水の上を楽しんでいる様子が窺えた。
そのまま行けば、新中川を通って帰れると思ったが、その日は中川を途中で引き返し、三郷公園を抜けて、水元公園の「オニバス」の様子をスマホに収めて、帰途に就いた。自宅には11時頃に着いた。頭の中には江戸川から水元公園、大場川、そして中川、更には荒川までの地図や地勢の様子がはっきり描けた。途中三郷公園で、綺麗な花畑を作っていた農夫のおじさんと良い会話ができた。何か少し世界が広くなったような気がした。
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荒川と隅田川を分流する「岩淵水門」(その54)
7月3日、その日私は、市川橋を渡り、そのまま蔵前通りを荒川へと走った。
8時45分ごろに出発し、平井大橋を渡ったのが、9時5分ごろだった。
荒川の幅広のサイクリングロードには、もうすでに多くのロードバイカーが所狭しと走っていた。...
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7月3日、その日私は、市川橋を渡り、そのまま蔵前通りを荒川へと走った。
8時45分ごろに出発し、平井大橋を渡ったのが、9時5分ごろだった。
荒川の幅広のサイクリングロードには、もうすでに多くのロードバイカーが所狭しと走っていた。
河原では、野球やサッカーに多くの人たちが、熱中していた。
堀切を通過し、いくつもの橋を潜ると何とはなしに景色が変わってきた。
市川に住んでいると、東京の足立区や荒川区、北区といった場所は、あまり縁がなく遠い存在である。
職場からも、日比谷線や京浜東北線に乗っていかなくてはならず、ましてや川口や戸田といった地名は、日常的なところではないように思っていた。
ところが、サイクリングをすると、そういった遠くに感じていた地名が、すぐそこで目に入り、頭の中の地図が書き直されてゆく。
何か、魔法の力が手に入ってような奇妙な感覚が襲った。
いくつかの橋を通過すると、視界がぐっと広がり、赤い色の水門が見えてきた。岩淵水門だった。
少し手前には、荒川と隅田川を分けている地点が、雄大なパロラマの中に見えた。
その1週間前に、行った利根川と江戸川の分流点は、茫漠な森が広大に広がりはっきりしなかったが、この分流点は至って明瞭であった。
「ここが分流点か」と感慨深かった。
更に荒川を遡ってみた。
赤羽辺りを通過した。下町ぽい街並みが見えた。
戸田橋まで来て、その日は引き返した。途中花を探したがやっと平井大橋の手前で、紫の花に東京スカイツリーが背景が重なったショットが撮れた。
自宅へ着くと12時10分頃だった。3時間余りの旅だった。汗が上下の服をびっしょり濡らせていた。その日も頭の中まで満足感が染み込んだ。
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