進化が止まらない③(第36回)
ここで、いつものことだが、知ったかぶりのウンチクをひとくさり、ふたくさり。
歌うとき高音を出す方法として、よく知られているのがファルセット(裏声)。しかしファルセットは圧が出にくいし声に芯がなく弱々しい印象になる。そこで迫力のある高音を出すために、ミドルボイスとかヘッドボイスと呼ばれるテクニックを使う。
簡単にいってしまうと、ファルセットは文字通り喉の裏から発声するのに対して、ミドルボイスやヘッドボイスは、同じ音程を喉の前から出す。...
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ここで、いつものことだが、知ったかぶりのウンチクをひとくさり、ふたくさり。
歌うとき高音を出す方法として、よく知られているのがファルセット(裏声)。しかしファルセットは圧が出にくいし声に芯がなく弱々しい印象になる。そこで迫力のある高音を出すために、ミドルボイスとかヘッドボイスと呼ばれるテクニックを使う。
簡単にいってしまうと、ファルセットは文字通り喉の裏から発声するのに対して、ミドルボイスやヘッドボイスは、同じ音程を喉の前から出す。声を前方に放り投げるように歌う。これでファルセットでしか出ない高い声が、普通の声のように出すことができるようになる。意識してトレーニングすると、たいていの人はできるようになるが、そこそこ練習は必要。
HR/HMで、高音のスクリームボイスを特徴としているポーカリストは、本人が意識するしないにしろ、大抵このテクニックを使っている。
代表的なのがRobert Plant(LED ZEPPELIN)だろうし、SteelheartのMiljenko Matijevic(マイク・マティアビッチ)なんか典型的なミドルボイスの持ち主だ。
参照:Steelheart - She s Gone (Live) [HQ]
https://youtu.be/aJGhuD4hyag
(1分44秒過ぎ頃から)
ミドルボイスとヘッドボイスの違いは、声を前に押し出すのがミドルボイスで、頭の天辺から出すのがヘッドボイスというくらいの違いだが、ヘッドボイスのほうがより硬質で鋭い高音となる。
日本人でいえばB´zの稲葉浩志はヘッドボイスで、小田和正はミドルボイスだろう。もともとの声質も関係するので、一概にはいえないけどね。
女性の場合は、地声との境界がさらに曖昧になるのでわかりにくいのだが、広瀬香美なんかはかなりヘッドボイスしていると思う。
参照:
広瀬香美 / promise
https://youtu.be/XMQrn4iASj4
ヘッドボイスやミドルボイスを出すためには、生体的に言うと声帯を広げることが大前提。そのためには声帯の周りの筋肉が重要になので、ある程度トレーニングして鍛えることが大事。
SU-METALがRob Halfordとのハモリで最後に発した超高音は、紛れもなくヘッドボイスだった。トレーニングの成果が見事に発揮されたといえるだろう。
さて、中低音。
太く響く低音を出すためのテクニックが、チェストボイス。もともとは地声の意味だ。地声の中低音を、いかに太く厚く、魅力的に聴かせるか、ここで要となるのが、響きである。
声をどこから出すのかによって、中低音の響きはずいぶんと変わってくる。声は喉から出るもの、と突っ込まれそうだが、お腹から出す、とか、胸から出す、など意識すると、声の響きがかなり変わってくるのだ。
Download FESTIVALの「走れ~ええ~ええ~ええ~」の最後の「え~」はまさに典型。お腹の底から絞り出した声を横隔膜で響かせることで、実に迫力のある低音を出している。ただこの低音チェストボイス、けっこう腹筋を使うので、こちらもトレーニングが必要。
SU-METALはもともと深みのある太い中低音の持ち主だったが、ここに来てその魅力が倍増している。この1年ほど、随分鍛えたんだろうな、と想像が膨らむ所以である。
7, BABYMETAL最終形態?
さぁ、これはわからない。
もって生まれた声質の良さとあふれる天賦の才能に一流のトレーナーからのボイストレーニングが加わることで、SU-METALの歌唱力、表現力はかつてない高みに達している。そしてこれからどこまで極まっていくのか、予想がつかない。
とりあえず目前に迫った東京ドーム2Dayライブ。
見事に二日間ともSOLD OUTになり、海外からも随分とファンが来日しているようだ。世界的な注目度の高さが窺い知れるが、さてこのライブでSU-METALはどのような最終進化形を魅せてくれるだろうか? 楽しみでたまらない。
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進化が止まらない②(第35回)
SU-METALこと中元すず香の声の変遷を振り返ってみたい。
彼女の声の成長過程は、次の6期(7期?)に分類できると思う。
1. ASH(アクターズスクール広島~可憐ガールズ)時代
2. さくら学院時代
3. 重音部時代
4. BABYMETAL前期(初期~ソニスフェア)
5. BABYMETAL中期(ソニスフェア~横浜アリーナ)
6. BABYMETAL後期(横浜アリーナ~現在)
7, BABYMETAL最終形態?
ではそれぞれの期について簡単に語らせていただく。...
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SU-METALこと中元すず香の声の変遷を振り返ってみたい。
彼女の声の成長過程は、次の6期(7期?)に分類できると思う。
1. ASH(アクターズスクール広島~可憐ガールズ)時代
2. さくら学院時代
3. 重音部時代
4. BABYMETAL前期(初期~ソニスフェア)
5. BABYMETAL中期(ソニスフェア~横浜アリーナ)
6. BABYMETAL後期(横浜アリーナ~現在)
7, BABYMETAL最終形態?
ではそれぞれの期について簡単に語らせていただく。
1. ASH(アクターズスクール広島)時代
溢れ出る才能の上に、基本中の基本が形作られた時期。いろいろな賞を総取りしていた時期でもある。
ASHでは基本的かつ正統的な歌唱方法を学びつつ、歌い方を進化させていったといえるだろう。まさに才能の片鱗、どころかあふれる才能を360度広げている。
歌っているのは主にJ-POP系で、並行して所属していた可憐ガールズの曲はいかにもアイドルっぽく可愛く歌っている。
加えて、バラードも素晴らしい。なかでも ミュージカル 『冒険者たち』での歌唱。心をこめて歌うというスタイルをわずか11、12歳でマスターし、聴く者の心を掴み震わせる境地まで達しているのは、本当に驚いてしまう。
参照:Babymetal Suzuka Nakamoto Musical 島唄
https://youtu.be/-IAN76NrwcM
2. さくら学院
可憐ガール時代からだが、さくら学院に入った当初も、それまでの歌い方に加えて、アイドル的な可愛らしい歌い方を身につけている。具体的に言うと、喉の上の方だけを使い、口は平らにして歌う方法。これをやると、可愛い声が出る。やり過ぎると“あざとさ”が出てしまうが、持ち前の声量を加えることで、圧倒的な説得力が出ている。それにさくら学院の歌は、意外とロック調の曲が多いので、それも合っていたのかも。いや、さくら学院が中元すず香に合わせていたのかも。
3. 重音部時代
さくら学院時代に重なるが、もう少し身体全体を使って圧の大きな声を出そうとしている。ようするにROCKっぽい声。アイドル系との歌い分けが難しいと思うのだが彼女は上手にこなしている。
ただしこの時期までは、中元すず香はあくまで幼い女の子。ようするに子供の声なのだ。今から振り返っての個人的な印象だが、もしこの時期にBABYMETALを知ったとしても、これほど夢中にはならなかったと思う。
「歌の上手い子を中心に据えた企画モノ。ま、キワモノだけど面白いし、1曲くらいは売れとるいいね」
という感想だったと思う。なにしろ声が幼すぎる。
ただし、いま現在から振り返ってみると、成長の軌跡を振り返ることができて、それはそれで懐かしいし、ほのぼのする。ほんと大きくなったよねぇ、と(ここ保護者目線)。
4. BABYMETAL前期(武道館~ソニスフェア)
実はこの時期の中元すず香はつらかったのではないかという感触を持っている。大成功を収めた武道館2Dayだったが、この時期あたりからとくに高音がつらそうに感じることがあった。武道館後のいくつかの海外ライブでは、高音がかすれたり、音程が不安定なステージもあった(あくまで比較論ですが。それに画質音質がよくはないファンカムですが)。
思うにこの時期、中元すず香は“変声期”ではなかったかと推察している。
男性ほどではないが、女性も変声期には声が若干低くなる。「紅月」や「IDZ」は高音を張り上げる箇所が何度もあるので、なんかきつそう、と感じる時が何度もあった。この時期のSU-METALの声をきくと、だからハラハラする。
5. BABYMETAL中期(ソニスフェア~横浜アリーナ前)
変声期が少し落ち着いてきたのがソニスフェアのライブだと思う。まだちょっときつそうだが、持ち前の歌唱力と圧倒的な存在感で、6万人の観衆を屈服させたのは御存知の通り。
そして徐々に声が安定してくるに連れ、本格的なボイストレーニングに入ったのではないかと推察している。
その根拠としているのが、この頃から名前がチラホラと浮上していたボイストレーナー佐藤 涼子(愛称:リョンリョン、Ryon2)先生の存在だ。
簡単な経歴紹介。この人、国立音大の声楽科卒で、声楽家団体・二期会のメンバーとしてオペラやミュージカルに出たり、ゴスペルグループのメンバーとして、ステージやTV、CMに出演していた。
現在は、豊富な音楽経験をもとに、数多くのアーティストに独自のボイストレーニングを実践。 すでにプロボイストレーナー歴28年のベテランである。
(以上Wikipediaより要約)
それまで中元すず香は有りあまる才能だけを武器に、無手勝流でここまでやってきた。トレーニングは基本的な発声をマスターした程度。あとは見よう見まね、聴いて聴きまね、でいろいろと歌をこなしてきた。
そして変声期も、力技でなんとか乗り切った。
そして思春着が終わり声も安定期に入ったので、ボイストレーニングを本格化したのではないだろうか。そこで迎え入れられたのが、実績あるプロのボイストレーナー、Ryon2先生である。
声が安定する時期を待って、本格的なトレーニングをスタートさせたと。これはタイミング的にもベストだと思う。Amuseスタッフは、わかっているなぁ、と感心してしまう。
そしてこの頃から、SU-METALの声は徐々により厚く、深く、高音もより無理なく、より高く、より安定して出るようになってくる。
6. BABYMETAL後期(横浜アリーナ~現在)
ボイストレーニングの成果が端的に現れたのが、横浜アリーナだろう。声の出し方がとても安定している。
ライブでのSU-METALの生歌をはじめて聴いて「こりゃすごい」と感心はしたのだが、あとから流出音源で確認してみると、やはりこれまでのライブとは一味違う。格段に進化していたのだ。
横浜アリーナのライブ終了後、SU-METALとRyon2先生は、抱き合いながら、涙を流しながら、ともに成功の喜びを分かち合ったという。ボイストレーニングの成果が100%発揮されたから、なのだと思う。
(つづく)
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進化が止まらない①(第34回)
今年4月のウェンブリー・アリーナから始まった各国のライブやら、国内のフェス、小箱白フェスライブと忙しい日々を送っていたBABYMETAL。東京ドーム2dayを控えて、しばしの休息、またはドームに向けて激しいお稽古の真っ最中だろうか。
その間、日々アップされてきたファンカム映像で3姫4神のステージを堪能しながら、ほとほと感心したことがある。それは
SU-METALの進化が止まらない。
ということだ。...
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今年4月のウェンブリー・アリーナから始まった各国のライブやら、国内のフェス、小箱白フェスライブと忙しい日々を送っていたBABYMETAL。東京ドーム2dayを控えて、しばしの休息、またはドームに向けて激しいお稽古の真っ最中だろうか。
その間、日々アップされてきたファンカム映像で3姫4神のステージを堪能しながら、ほとほと感心したことがある。それは
SU-METALの進化が止まらない。
ということだ。
低音はより低く迫力と深みを増し、高音はより高く滑らかに透明度を増している。
もちろん中音もしかり。全体として歌の表現力がかつてない高みに達している。
今回のツアー中、そのことをとくに痛感した瞬間がいくつかあった。
まずはイギリスのDownload festivalでの「KARATE」である。
ライブでのお客の盛り上がりやSU-METALの煽りもすごいけど、曲の最後の最後。
「はしれ~ええ~ええ~え~」の最後の「え~」の発声が、CDやそれまでのステージとぜんぜん違うのだ。
腹の底から噴き上がるような、聴く者の魂を揺らすような、厚く、太い声。
え? スウちゃん、こんな声も出せるんだ、とびっくりした。
発声的には、文字通り腹式呼吸を使い倒してお腹の底から声を出している。
発声方法としては、基本中の基本ではある。でもアイドルさんでこれができる子は皆無なのだけれど。
中元すず香はそれを完璧に体得しているし、しかもその技を、この曲の、ここで使うのかと驚いた。
結果として、このフェスでの「KARATE」はかつてない凄みと迫力と、消えることない底深い余韻を聴衆に残すにいたったのである。
ただ本人が意図していたかどうかはわからない。観客の熱狂に呼応して、思わず出た声かものかもしれない。実際、これほどの低音は以後のライブでは聴くことができないので、偶発的だった可能性があるにはある。
その一方で、自分の引き出しからいろいろな方法をライブで試し、自分として一番納得のできる、つまりは曲の世界観をもっとも的確に表現できる、そして観客が一番湧く声を探っていたのかもしれない。
さまざまなトライを重ねながら、つねに上昇スパイラルを描き続けるSU-METAL。最新が最強といわれる所以である。
参照
BabyMetal - Karate at Download festival 2016 [HD]
https://youtu.be/hpcjsTcEytk
既存の曲もつねに進化している。
たとえば「メギツネ」。
8月6日 国営ひたち海浜公園(茨城県ひたちなか市) で開催された
「LOCK ONJ APAN FESTIVAL2016」。
このフェスでの「メギツネ」は、国内初披露?のユイモアの新しいJUMP煽りも強烈に可愛いかったのだが、SU-METALの
「涙は見せないのー」の「のー」
「女はメギツネよー」の「よー」
もまた、かつてない迫力満点の底鳴り音を響かせていた。
参照
BABYMETAL LIVE @ RIJ2016
http://www.dailymotion.com/video/x4qo9p2_babymetal-live-rij2016_music
次に「AMORE」。Los Angelesのライブでの「AMORE」である。
この曲を初めて聴いたのはCDアルバムだし、ライブはWembleyの流出映像だったのだが、最初の印象は「なんとまぁ難しい曲を歌うもんだ」という感想だった。
メロディラインの上下が激しいし、歌詞はたくさんある、バッグの演奏はやたら速い、そんな難曲を歌いこなしてしまうのだから、上手いなぁ、こんな曲、普通にプロでもなかなか歌えないよなぁ、とは思う。たが対を成しているとされる名曲「紅月」ほどではない、というのが正直な感想だった。
それがLos Angelesでのライブを聴いて、「こ、これは!?」と腰を抜かしそうになった。
楽曲の持っている世界観を、壮大に、繊細に、エモーショナルに、見事なまでに歌いきっている。
このLos Angelesのライブでは、上手さを超えた表現力に、格段に磨きがかかっていると感じた。これはテクニック云々ではない。いや細かいテクニックの総動員なのだろうが、そんなことを感じさせないほどの圧倒的歌唱力で、「AMORE」の壮大な音世界を現実世界に表出させている。
いずれもファンカム映像を聴いての感想なので、もしその場に居合わせたら、立ち上がれないほどの衝撃を受けたのではないだろうか。
以前どこかのインタビューでSU-METALは「ひとつの曲を自分のものにするには最低半年以上かかる」といってたと記憶している。
それだけの熟成期間が必要ということなのだろうが、しかしアルバム発表から約4ヶ月でこの高レベル。
やがて進化の過程でSU-METALがこの曲を完璧に歌いこなせた時、曲に込められている想いのすべてを、SU-METALが解き放した時、一体どんなことになるのだろう。
天地鳴動して地球が割れるかもしれない。いや、世界が微笑みで溢れ、世界中の戦争が終わるかもしれない。なにしろテーマが「愛よ、地球を救え」だものねぇ。
いささか妄想めくが、そんな思いに震える自分がたしかに今ここにいる。
参照
BABYMETAL - Amore Live - The Wiltern - Los Angeles, CA
https://youtu.be/YtJyjuLsdlg
そして最後にあの、『AP Music Awards』でのRob Halfordとの競演における“Painkiller”だ。
曲中、Rob爺とのオクターブ・ハモリの最後の最後、3段階ロケット噴射のように放ったSU-METALの超ハイトーン・スクリーム。
これもぶっ飛んだ。
いやー、この娘は、ROCKだ!
前から薄々感じてはいたが、今回は心底そう思った。
きわめて硬質で金属的な超高音ボイスである。
スウちゃん、いつの間にこんな圧の大きい超高音を出せようになったんだ?
この音は、おそらくSU-METAL史上においてもっとも高い声ではないか。詳しくは次回? で解説したいと思うが、テクニカル的にいうと、これはおそらくSU-METALが発した人生最初の“ヘッドボイス”なのではないかと思う。
参照
AP Music Award 2016 BABYMETAL&Rob
https://youtu.be/pgx3WWg0zFA
さて。
SU-METALは、ではなぜこんな多彩な声を出せるようになったのだろうか。
その成長を辿るため、幼少時代にまで遡って、中元すず香の声をじっくりと聴き直してみたい。
(つづく)
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音楽プロデューサーというお仕事・国内編②(第33回)
先回の続きです。
・小室哲哉(篠原涼子、trf、hitomi、globe、華原朋美、安室奈美恵など)
人気を集めた自身の音楽ユニットTM NETWORKで作曲、編曲、企画プロデュースをする傍ら、平行してさまざまなJ-POPシンガーに曲を提供。渡辺美里へ提供した「My Revolution」は第28回日本レコード大賞金賞を受賞。その後も彼の手がけたglobe、trf、安室奈美恵などのアルバムが1,500万枚以上を記録。...
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先回の続きです。
・小室哲哉(篠原涼子、trf、hitomi、globe、華原朋美、安室奈美恵など)
人気を集めた自身の音楽ユニットTM NETWORKで作曲、編曲、企画プロデュースをする傍ら、平行してさまざまなJ-POPシンガーに曲を提供。渡辺美里へ提供した「My Revolution」は第28回日本レコード大賞金賞を受賞。その後も彼の手がけたglobe、trf、安室奈美恵などのアルバムが1,500万枚以上を記録。1995年からは彼がプロデュースした楽曲が4年連続で日本レコード大賞を受賞。高額納税者番付にも名を連ねるなど、まさに小室ブームの到来だった。
しかし1999年に、小室人気はいきなり失速する。
理由としては、いわゆる小室ファミリーといわれたアーティストたちの相次いでの離脱、華原朋美との恋愛破局、“非小室系”といわれるアーティスト(宇多田ヒカル、モーニング娘。、GLAY、Dragon Ash、SPEED、椎名林檎、L´Arc~en~Cielなど)の台頭、などいろいろあった、しかし煎じ詰めれば最大の理由はユーザーが小室サウンドに飽きたから。流行曲の宿命か、同じ傾向の音が生き続けるのは、正味3~5年であり、自らが作曲兼プロデューサーをしていた小室氏には、その限界を突き破れなかったのだろう。
経済的には呆けたように繰り返してきた狂宴の日々をいきなりゼロにすることもできず、また離婚に伴う多額の慰謝料支払いなどもあり、ついに赤字もロケンロール。ついにはあの5億円詐欺事件を引き起こし、執行猶予付きの有罪判決を受けたことはそう遠い昔のことではない。
ただ、復活を願う熱いファンの後押しもあってか、他のアーティストへの楽曲提供や作詞、編曲、TM NETWORK再結成など、徐々に活動を再開しているようだ。
ところで個人的な昔話で大変恐縮だが、以前仲の良かったギタリストがバンマスをしていたバンドに、ブレイク前の小室哲哉が参加していたという話を聞いたことがある。興味が湧いて小室哲哉氏がどんな人となりだったか聞いてみたところ「なよなよしていて気持ちの悪いヤツだった」という返事だった(笑)。また当時から小室氏が口を開くたび「これからはユーロビートだ」と言っていたので、「変なこというヤツ」とも思っていたとのこと。でも以後、ユーロビートを基調としたいわゆる小室サウンドが大ブレイクしたので、先見の明はあったのだろう。
ちなみにそのギタリスト君は、スタジオミュージシャンとしてアイドルの録音に協力したり、ライブで一緒に日本中を回ったりもしていたのだが、結局これじゃ食えないということで音楽の道はすっぱり諦めて田舎に帰り、実家を継いだ。やはり先見の明は大事、なのだ。
・小林武史(Mr.Children、桑田佳祐、大貫妙子や渡辺美里、小泉今日子、MY LITTLE LOVER、一青窈、鬼束ちひろなど)
小室哲哉氏と並んで、当時の歌謡界を牽引した大物プロデューサーの一人。世にいうTK時代の片方である。
なかでもミスチル(Mr.Children)を世に出した功労者として知られている。リーダーの桜井和寿氏の作曲作詞も素晴らしかったが、この小林武史氏の全面的プロデュースがなかったら、ミスチルがあれほどの成功することもなかったといわれている。
ご本人は、幼少の頃はクラシックピアノ、青年期には独学でジャズ理論やバークリーメソッドを学び、同時に自らバンドを組んで自作曲を演奏したり、20歳の頃からはキーボード・ブレイヤーとしてはスタジオミュージシャン活動も始めていたそうだ。そして25歳の頃には早くもその才能が認められ、数多くのアーティストの楽曲やライブにキーボーディストとして参加し、あっという間に売れっ子になった。
彼が手がける楽曲の大きな特徴は、一言でいって本格派。関わるミュージシャンも実力派揃いだし、彼らの才能を十二分に引き出す能力に長けた人なのだろう。じっくり聴かせてくれるアーティスティックなJ-POP、という印象だ。しかしそれだけに地味という印象もあり、手がけたヒット曲が多い割には、実は一般にはあまり知られていない。実際、この記事を書くためにいろいろ調べてみて、なんだこの歌手のこの曲も小林武史プロデュースだったのか、と知った程度なのだから。すいませんです、はい。
ただ最近では、長年のパートナーだったミスチルとの関係も崩れているらしく、その原因として坂本龍一らと始めた環境問題のNPO「ap bank」の活動にのめり込み過ぎたから、といわれている。ミュージシャンが社会運動にハマる例は洋の東西を問わずあるけれど、音楽とのシナジーが見込めない場合は危険だよなぁ、と思わないでもない。
・中田ヤスタカ(Perfume、きゃりーぱみゅぱみゅなど)
この人の楽曲を初めて聴いたのは、大ヒットしたPerfumeの「ポリリズム」だった。当時、その斬新さに大いにおののいた。
流れで彼の個人的なユニット「capsule」も聴き漁った。当然きゃりぱも。
中田氏の曲は、まさにエレクトロ・ポップの最終進化系。ポップで未来的で、ダンサンブルで、でもどこか温もりがあって、歌い手たちのビジュアルやダンスもユニークでかわいい(中田氏には関係ないが)。
ところで中田ヤスタカは多くの楽曲で作曲プロデューサーとされているが、一般的なプロデューサーとは役回りがだいぶ異なるようだ。基本的には曲はすべて打ち込み系であり、作曲も録音もエンジニアリングも自宅の作業場、だからPerfumeたちのテレビ出演もMVもライブも、演奏はみなカラオケだ。
プロデューサーというと、広報宣伝からスケジュール管理、ライブの調整などさまざまな雑用を纏めているというイメージがあるのだが、中田氏はそうした雑務はタレント事務所やマネージャーに任せて、本人はあくまでクリエイティブ・ブロデューサーに徹しているようだ。その意味では、新しい音楽プロデューサー像といえるのかもしれない。
ただその他の活動として、多くのクラブイベントやなどでDJをつとめたり、ファッションショーや映画の音楽を手がけている。だからそのうち初音ミクと共演するのではないか。そもそも曲もボーカロイドと親和性が高そうだしね。
※ ※ ※
さて、代表的な日本の音楽プロデューサーとその特徴について縷縷勝手をいってきたが、ここでひとつの特徴に気づく。
秋元氏以外はすべてミュージシャン出身ばかり、という点だ。当たり前といえば当たり前なのだが、優秀といわれる音楽プロデューサーは、やはり音楽的な素養が必須といえるらしい。
ただひとつリスクがあるとすれば、同じプロデューサーが手掛ける楽曲は、たとえ自分が作曲・編曲していなくても、企画や編成の段階でどうしても好みや傾向が出てしまい、マンネリに陥りやすいという点だろう。上の例でいえば、小室サウンドが急に人気を失ったのは、当初は新鮮だったユーロビートを基調とした小室サウンドが飽きられてしまったから、というのが大きな原因のひとつだ。その意味では、私見ですがそろそろ中田サウンドも賞味期限が来そうな予感はしている。
ではBABYMETALはどうか?
METALをベースにしているから、飽きられるというリスクはないとはいえない。ただ一言でメタルといってもさまざまなジャンルがあるし、その幅広い音楽性をつねに吸収・解体、再融合し、さらに他ジャンルのアイドル曲やJ-POP、ROCK、EDM、歌謡曲? などさまざまなカテゴリーをプラックホールのように貪欲に取り込んでいるので、飽きられるリスクは少ないといえるだろう。
その意味でもKOBAプロデューサーがMETALヲタクではあってもミュージシャンではない、という事実がいい意味で影響しているのかもしれない。KOBAプロデューサーの詳しい経歴はまったく不明だが、ネット上ではもっぱら某有名私立大学の政治経済学部出身という噂だ。しかもご本人は、あくまでAmuseという大会社のサラリーマンである。特定の分野に拘泥することなく、柔軟に他ジャンルを取り入れることかできているのも、そうしたKOBAプロデューサーの立ち位置に寄るとこが大きいのではないだろうか。
反面このとんでもない、そしてますます大規模化しているこのBABYMETALプロジェクトをまとめ上げるという仕事は、大変だろうなと想像する。その意味で、KOBAMETALもまた、新しい時代のプロデューサー像を示しているのかもしれない。
これからどこに行くのか、まったく予想ができないBABYMETAL。
いずれにしてもマイストロKOBAMETALが、そして3姫やプレイヤー、クリエーター、スタッフ、関係者が方向性をひとつにして変化(Resistance?)を継続していく限り、BABYMETALはさらにビッグになり、多方面にわたってかつてない影響力を発揮していく、とつくづく思うのである。そうあってほしいと、切に願うのである。頼みますよ、小林さん。
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音楽プロデューサーというお仕事・国内編①(第32回)
いやはや、驚いたのなんの。
2016年7月18日。
その日、Ohio州Columbusで行われた『Alternative Press』主催の『AP Music Awards』において、メタルの伝説的存在「JUDAS PRIEST」のVocalist、METALGODと呼ばれるRob Halfordが、BABYMETALとまさかのコラボレーション。いまやMETALの古典的名曲となった“Painkiller”と"Breaking the Law"を、同じステージ上でぶちかましてくれた。...
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いやはや、驚いたのなんの。
2016年7月18日。
その日、Ohio州Columbusで行われた『Alternative Press』主催の『AP Music Awards』において、メタルの伝説的存在「JUDAS PRIEST」のVocalist、METALGODと呼ばれるRob Halfordが、BABYMETALとまさかのコラボレーション。いまやMETALの古典的名曲となった“Painkiller”と"Breaking the Law"を、同じステージ上でぶちかましてくれた。
重鎮Robと互角以上に渡り合うSU-METALの超ハイトーン・スクリームはすさまじかったし、ギター2神とからんだYUIMETAL、MOAMETALのなんちゃってギタープレイが極上的にかわかっこよかった。
AlternativeなのにMETAL、という超アウェイのなか、観客の度肝を抜いて最後は興奮の坩堝。それはまぁ、いつものこと!?
BABYMETALはまたひとつ、ジャンルの壁をぶち壊した。ほんと、凄いことが起きるもんだ。個々のパフォーマンスも素晴らしいけど、こんなことを仕掛けたプロデューサーも凄い。
参照:APMAs 2016: BABYMETAL perform with ROB HALFORD of JUDAS
https://youtu.be/TD85aM0VQ3o
ということで、さて気を静めて先回の続きです。
今回は日本の音楽プロデューサーについてのあれこれ。
日本でアイドルと呼ばれたのは、戦後の並木路子からはじまり、「三人娘」として人気を博した美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみ、「新・三人娘」と呼ばれた南沙織、天地真理、小柳ルミ子、「中3トリオ」の森昌子、桜田淳子、山口百恵など、綺羅星のごとく現れ輝きを放っていた。そして70年代半ばからは、キャンディーズ、ピンク・レディー、松田聖子、中森明菜などが爆発的な人気を集め、80年代後半からは、工藤静香、中山美穂、南野陽子、浅香唯といったアイドルたちが昭和の歌謡界を彩った。そして時代は平成に移り、AKBを筆頭にあまたのグループアイドルたちが華々しく登場した。
一方で、フォーク、ニューミュージックを経て完成したJ-POPと呼ばれる、どちらかといえば音楽性を重視した個人やグループ(かれらはアーティストと呼ばれる)もそれなりの人気を集めている。
そんな日本の音楽シーンを賑やかしてくれた多くのアイドルやアーティストたちのプロデューサーとして、大きな足跡を残した人たちの特徴を振り返ってみたい。
まずはグループアイドルから。
・秋元康(AKB48、SKE48、SDN48、NMB48、HKT48、乃木坂46、JKT48、SNH48、欅坂46、NGT48、その他たくさん)
いうまでもなく、現在のグループアイドル・シーンを誕生させ、牽引してきた立役者である。
戦後、いろいろなアイドルが生まれたが、最近のアイドルといえば、もっぱらグループアイドルが主流。そのきっかけとなったのが「おニャン子クラブ」だった。
テレビ局が作ったアイドルで、それまで「高嶺の花」「ブラウン管の向こう側の憧れの人」だったアイドルが、「いつでもどこでも会えそうな、ちょっとかわいい隣ん家のおねえさん」風に変貌し、大いに受けた。だから歌は下手、ダンスも素人だったのにもかかわらず、いやだからこそ親しみが湧いて、当時の若者から熱狂的な指示を得た。この時、構成作家や作詞家として関わっていたのが、秋元康氏。その時の経験を生かしてAKB48を誕生させた。アイドルグループのプロデューサーとして脚光を集めたのは、彼が初だろう。
彼が創りだすアイドルは、まさに質より量。数の力で押し切る点は、後の「モーニング娘。」や「ももいろクローバーZ」など、数多の地下アイドル、地底アイドル、ローカルアイドルにも大きな影響を与えた。ただあくまで若い男の子対象なので、ほとんどのおじさんは蚊帳の外だったが。
賛否両論渦巻く人ではあるが、握手会や総選挙など、レコード(CD)の売上とは別ルートの利益誘導線をビジネスモデル化し、低迷していた業界を回復・成長させたので、業界関係者からの評価は高い。ただ芸能界に素人芸を蔓延させた、グループアイドルによって日本の音楽シーンは氷河期に入ったなど、昔からの音楽ファンからの評判がいいとはいえない。
それにあくまで素人芸がウリなので、たまに歌やダンスが上手になってしまう子がいると、ご本人からの指示なのか、自然淘汰なのか、いつの間にか排除される傾向もあるようだ。
・つんく♂(モーニング娘。ハロー!プロジェクト等)
こちらもグループアイドル・シーンを引っ張ってきた功労者。もともとはシャ乱Qというバンドのボーカリストで作詞作曲もしていたが、現在では「モーニング娘。」や「ハロー!プロジェクト」の総合プロデューサーとしての認知度のほうが高い。
ただご本人はアイドルグループのプロデューサーと呼ばれることを嫌がっているらしく、あくまで本格派のボーカル&ダンスユニットをめざしているのだそうだ。たしかに音楽的には4648系に比べればまし、という印象はあるにはある。だからだろうか、当時の「モーニング娘。」の楽曲もダンスも、キャッチーで風変わりでそれなりに凝っていて楽しめた。
ところでASH(アクターズスクール広島)で中元すず香と同期だったアイドルに、鞘師里保という女の子がいた。ダンスが抜群にうまくて、在スクール時には「歌の中元、ダンスの鞘師」といわれ将来を大いに嘱望されていた。彼女は「モーニング娘。´14」に入り、在グループ時はけっこうな人気があったそうだが(すいませんね、アイドルには疎いもので)、昨年の2015年12月にグループを脱退。現在はダンスと英語の勉強のため海外留学中とのこと。ASH時代にはライバルとして競い合った中元すず香が今これほどのビッグネームになってしまったので、思うところはあったんじゃないかなぁ、と余計な考えを巡らせてしまう。グループ内で彼女を育成し際立たせる、という試みもなかったようだし、結果として自分の新たな可能性にかけて渡米したのだろう。よく知らない子だけど、彼女なりにがんばってほしいものです。若い時はいろいろあるよ。
そして、つんく♂もまた、喉にできた癌のため2015年に声帯を摘出し、言葉を発せない人になってしまった。もう歌手としてのバンド活動は無理なので、今後は作曲やプロデュースに専念するのだろう。ビジネスモデル化など考えず、あくまで “音楽”にこだわるつんく♂なので、今後はアイドルだけでなく、アニメやミュージカル、映画などの音楽プロデュースの分野でもがんばってほしいものです。
さてここからはJ-POP。
(今回は前置きが長くなってしまったので、次回に続く)
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