エジプト考古省の23日の発表によれば、エジプトとイタリアの研究チームが、ミイラのほか、花瓶、ひつぎの破片、複雑に装飾された仮面、ミイラやひつぎを覆った材料のカートネッジや小像なども発見した。
墳墓の主室には、およそ30体のミイラがあり、部屋の一方にある壁龕には数体の幼児のミイラが折り重なっていた。
考古省の説明によれば、ミイラを運ぶためのヤシの木で作られた担架、亜麻布の切れ端、瀝青の入ったいくつかの壺、ランプそして彩色されたバーの小像が発見された。...
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エジプト考古省の23日の発表によれば、エジプトとイタリアの研究チームが、ミイラのほか、花瓶、ひつぎの破片、複雑に装飾された仮面、ミイラやひつぎを覆った材料のカートネッジや小像なども発見した。
墳墓の主室には、およそ30体のミイラがあり、部屋の一方にある壁龕には数体の幼児のミイラが折り重なっていた。
考古省の説明によれば、ミイラを運ぶためのヤシの木で作られた担架、亜麻布の切れ端、瀝青の入ったいくつかの壺、ランプそして彩色されたバーの小像が発見された。バーとは、一部が鳥、一部が人間の姿をしており、「死者の魂」を表すものである。
室内には数点の彩色および無彩色のカートネッジや未完成のデスマスクもあった。張り子のように、古代エジプト人はデスマスクやカートネッジをパピルスと漆喰を塗り重ねて作った。これらの装飾品は、大胆かつ色とりどりな図案で装飾されていた。
研究者チームは墳墓の他の場所でさらにミイラを発見しており、そのうち2体はひとつの彩色されたカートネッジに包まれていた。考古学者は母と子ではないかと考えている。他に4体のミイラが、食べ物が入った壺のある構造物の中で見つかっている。
ひつぎの木片から、この墳墓は、エジプト王朝時代の終わりからギリシア・ローマ時代の初め頃の「Tjit」と呼ばれた人のものではないかと推測されている。彩色されたひつぎの破片から墳墓の所有者と信仰した神々が明かになったと考古省が発表した。
今回の墳墓はアスワンのナイル川西岸、アガハーン霊廟の近くにある。アスワンのナイル川西岸域には数十の墓所地域がある。エジプト・イタリア研究チームの目的は、およそ300の墳墓の位置の特定で、そのうち25か所が過去4年で発掘されたとリーダーの考古学者パトリツィア・ピアチェンティーニが語った。
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