フィジーの学生への講演で、グテーレス事務総長はマーシャル諸島のエニウェトク環礁にある建造物を「ひつぎのようなもの」であると表現し、冷戦時代の太平洋における核実験の遺産だといった。
「皆さんご承知の通り、太平洋は犠牲とされてきました。」とグテーレス事務総長はいい、米国とフランスが同地域で実施した核爆発実験に言及した。マーシャル諸島では、非常に多くの島民が先祖伝来の土地から避難し、移住することを余儀なくされた。...
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フィジーの学生への講演で、グテーレス事務総長はマーシャル諸島のエニウェトク環礁にある建造物を「ひつぎのようなもの」であると表現し、冷戦時代の太平洋における核実験の遺産だといった。
「皆さんご承知の通り、太平洋は犠牲とされてきました。」とグテーレス事務総長はいい、米国とフランスが同地域で実施した核爆発実験に言及した。マーシャル諸島では、非常に多くの島民が先祖伝来の土地から避難し、移住することを余儀なくされた。同時に何千人もが放射性降下物に晒されてきた。
この島国では、米国の統治下、ビキニ環礁とエニウェトク環礁が1946年から1958年の間、67回の米国の核兵器実験の爆心地となった。米国が爆発させたなかで最も強力な、広島に投下された原子爆弾の千倍以上の威力を持つ「ブラボー(素晴らしい)」水素爆弾の1954年の実験もこのなかに含まれる。
気候変動問題を喚起しようと南太平洋諸国を歴訪しているグテーレス事務総長は、太平洋の島民は、核実験の放射性降下物に対処するための助けがいるという。「放射性降下物は島民の健康や一部地域の水質汚染に重大な影響を及ぼしている」
「いままでマーシャル諸島のヒルダ・ハイネ大統領と一緒だったが、マーシャル諸島にあるひつぎのようなものから放射性物質が漏れだしている危険があると心配している。」とグテーレス事務総長はいう。「ひつぎ」はコンクリート製のドームで、核実験の廃棄物の廃棄場所として、1970年代にエニウェトク環礁にあるルニット島に建設された。
核爆発により汚染された土壌と灰はくぼみに捨てられ、厚さ18インチ(約46センチメートル)のコンクリートで覆われた。しかし、これは一時的な処置として考えられていて、廃棄物が太平洋に浸出することを恐れ、くぼみの底は覆いがされていない。
数十年の露出のためコンクリートにはひびができていて、熱帯のサイクロンが襲えば砕け散ってしまうのではないかという懸念がある。
グテーレス事務総長はこのドームに何をしなければならないかは直接には触れなかったが、太平洋における核実験の歴史はいまだ対応が必要だと述べた。
「フランス領ポリネシアとマーシャル諸島で行われた核爆発に関してはやらなければならないことが多々ある。」とグテーレス事務総長はいう。「これは健康上の影響と共同体やほかの多くの方面への影響と関係する。」「もちろん、保障の問題もあるし、影響を最小限にするための仕組みの問題もある。」
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