1943年8月、連合国空軍は9回の空襲で、165発の爆弾をポンペイに投下した。
しかし、最新の調査で、現在のナポリ近郊の66ヘクタールのポンペイ遺跡のかなりの部分に不発弾が隠されていることを明らかとなった。
イタリアの新聞イル・ファット・クォティディアーノは、10発の爆弾に位置を示す公文書はないと報じた。この主張を裏付けるため、同紙は爆弾の位置を示す地図を含む国立航空写真アーカイブの文書と、考古学者のインタビューを報じた。...
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1943年8月、連合国空軍は9回の空襲で、165発の爆弾をポンペイに投下した。
しかし、最新の調査で、現在のナポリ近郊の66ヘクタールのポンペイ遺跡のかなりの部分に不発弾が隠されていることを明らかとなった。
イタリアの新聞イル・ファット・クォティディアーノは、10発の爆弾に位置を示す公文書はないと報じた。この主張を裏付けるため、同紙は爆弾の位置を示す地図を含む国立航空写真アーカイブの文書と、考古学者のインタビューを報じた。
「1986年ポンペイで発掘作業中に不発弾に遭遇した」と考古学者でスオール・ オルソラ・ベニンカーサ学院大学教授のアントニオ・デ・シモーネ氏はイル・ファット・クォティディアーノ紙に語った。「私たちはノミとシャベルを手に、ゆっくりと、一回に片手一杯の土を取り除いていた。そのとき突然足の下に爆弾を発見した。ひとつはすでに爆発し、破片になっていたが、残念なことに、もうひとつは不発だった。まったく無傷のままだった」
調査によれば、66ヘクタールの遺跡は、まだ44ヘクタールしか発掘されていない。すくなくとも10発の不発弾が、発掘されていない22ヘクタールに残っている。
ポンペイ考古学博物館によれば、訪問者に危険はなく、遺跡は軍による再生計画によって、規則的に掘り返されているという。再生計画はメートル単位で行われている。
イタリア国防省の統計によれば、第二次世界大戦の爆弾数千発が毎年、イタリア国内で無害化されている。
偶然にも、連合軍によって165発の爆弾が投下された1943年8月24日と同じ日の紀元79年8月24日に、ポンペイは火山の噴火で破壊され、2千人が亡くなったと思われてきた。しかし、2018年10月に発見された碑文により、ポンペイは、以前考えられていた8月24日ではなく、10月17日のベスビオ山の噴火により破壊されたと証明された。
ナポリ近郊のポンペイ遺跡は、16世紀に発見され、最初の発掘は1748年に始まった。ポンペイ遺跡は世界でもっと訪れる人の多い遺跡のひとつである。
最近の発見には以下がある。レダと白鳥のギリシャ神話からのエロティックなシーンを描いたフレスコ画、驚くほど保存状態のよい、神話の狩人ナルキッソスが水面に映った自分の姿にうっとりしている場面を描いた絵、2人の女性と3人の子供が抱き合っている骨格、馬の骨格、そしてよく保存されているフレスコ画に書かれた「ファーストフード」カウンターなどがある。
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